文体について

俺がこの日記ブログを書く時に心掛けている文体についての話。

1日目の日記に書いたようにこの日記の目的は3つあって「文章力アップ」「生活の意識向上」「記録の再確認」というものだけれど、その中でも文章力について大きく分けると「語彙や単語力の強化」と「表現技法や構成の習得」の2つがあると思う。

今回の話は後者の表現技法、特に文体の話で、俺のこの日記の文体は舞城王太郎に大きく影響されている。

舞城王太郎の文体は口語体かつ1文が非常に長いうえに句点や読点は少ないのに言葉遣いのタイミングというか文章の呼吸みたいなものがベテランラッパーよろしく絶妙なバランスでまとめ上げられているので読んでいる時もほとんど詰まらずに意味や情景がスッと頭の中に入ってくるという謎システムが定期的に使われていて、そんな文章の書き方なので文章の洪水だとかスピード感・ドライブ感があるとよく言われていて当然ながら人によって舞城の文体は好き嫌いがはっきり二極化するけれど俺は大好き側だった。男の子はこういう常識破りで中二病なアナーキストに憧れるものだから仕方ない。

そんな常識的じゃないアウトローな文章を書く舞城が自分の作品に標榜している多くのジャンルはミステリーなのに実際のストーリーではSFやホラーやファンタジーな展開をする話も少なくないし隙さえあれば暴力やエロみたいなR-18な過激な話がぶち込まれてくるし冷静な気持ちで見ると文学の世界を荒らしたいだけの愉快犯にしか見えないのに、ほとんどの作品のテーマの根底にあるのは愛(LOVE)だというのが垣間見える。

誰かが何かを表現する時には、その表現したいものを形作っているアウトラインみたいなものに沿ってハンマーとノミで削り出していくのが基本だと思うけれど、それだけだと作る事のできる表現には限界がある。ここで舞城は自身の小説にR-18な、いわゆる正反対そうなものを同時に多く登場させることでギャップを作り出している。ヤンキーと猫だとか、委員長の眼鏡の有無だとか、ツンデレだとか、空腹こそ最高のスパイスだとか、ダブステップのメインテーマ/ブレイクだとか、要は本当に見せたいものと落差をつけることで、よりその存在がくっきり目立つようになってくるという手法を舞城は効果的に使っていて、小説では毎回のように最後に愛が表現されている。最近はエンタメが飽和&淘汰していった結果、生き残る為に過剰に尖った表現をする手段としてギャップがよく使われて始めていると思う。

話が脱線してしまったけれど、つまり俺は、歯切れの良いテンポの文章で、鋭い事を言いながら、愛を語るラッパーのような何かになりたいんだと思う。

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