35歳になってしまった。

35歳になりました。なってしまいました。

俺にとって「35」は大きな区切りで、まだ何もしていないという焦燥感だけがあるんスよね。

 

物心ついた頃、だいたい色々と拗らせた小学生高学年から中学生くらいの頃からずっと、何なら今でも、自分は大人になったら社会に大きな影響を与える事ができるような、社会的に重要な人物になれると思っていました。

さすがに、もうそろそろ、この考えを改めないといけない年齢になってきたンじゃないでしょうか。

 

ところで、その物心ついた頃から自分の中の「オッサン」という概念を確立していたんスよね。25歳を越えた辺りで既に「オッサン」に片足を突っ込んでいて、30代は完全に「オッサン」で、40以降はもはや引退レベルでした。

恐らく俺が子供の頃の両親の年齢と、その辺りの年代の人の思想は、俺にとって遠い存在で、それが形を変えて言葉になったものが「オッサン」じゃないンでしょうかね。

で、自分が、とうとうその「オッサン」になってしまったわけなンです。四捨五入するともはや引退レベルの「オッサン」。まいったネ。

 

そんな「オッサン」になった俺は当然、あちら側にいた大人の仲間入りしているはずなのに、未だに社会的に重要な人物になれていないワケで。そもそも俺自身の持っている社会的に重要という概念がずっとフワフワして定まってないンで、満たされるわけも無いんスけどね。

 

いったんまた別の話になります。

創作系の大学あるあるらしいんスけど、卒業生はその後何も創作していないと、創作をしないといけないという義務感や焦燥感みたいな感情が出てくるらしいです。本当かどうかは知りません。

多分、技術や知識が使われない事に対する勿体なさや、創作していた習慣が変わってしまった事に対する動揺みたいな感情が原因じゃないンでしょうか。

 

もしかしたら俺の焦燥感もこれに近いモノなのかもしれないです。

俺は今まで色んな創作系の物事に浅く広く手を出してきたんスけど、あまりに浅すぎたのか、どれも小さい作品で、大きなインパクトは生まれず話題になることはほとんど無く、それで生活資金が得られるほどの手に職になる事もなくて。

何も残らず、ここまで何もせずに生きてきてしまったンじゃないか、という感想が出てきてしまいますね。

 

とここまで書いて気付いたんスけど、俺の求めていたものはミームなのかもしれないスね。

子孫という物理的遺伝子は元より、情報や文化という形で、俺の何らかの存在が続いていって欲しいんスよね。

 

というわけで、今までずっとヘラヘラと生きてきましたが、そろそろ先を見据えた、数年がかりの深く大きな、人生を賭けて行うようなプロジェクトを考えて動きたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました