「厳しい」「難しい」という否定表現について

何か否定する時の表現について(少なくともtwitter上では)良くなってきているので、これを機に表現を見直してコミュニケーションを成功させよう、という内容の記事。

 

最近になってtwitterで「嫌い」とか「苦手」みたいな意味で「厳しい」「難しい」といった表現を使う人が増えてきている気がしているんスよね。

これはまさに英語の “not for me”(=私の為のモノではない) 的な表現を、日本語で上手く置き換えた表現じゃないスかね。

 

この “not for me” を推す背景には「安直に何かを否定すると、その何かに対して好意的な感情を持っている人まで否定しているみたいになって、不要な争いを生むだけだ。だから、たまたま自分には向いてなかっただけだ、という表現を使っていこう。」といった意図があったように思います[*要出典]。

ここ何年かでポリティカル・コレクトネスについて急激に議論が進んでアップデートされていって、正しさとは何かを定義することが難しくなっているじゃないスか。そんな中、少なくともこの考え方は誰も傷つかないし、純粋に良い事なンじゃないかと。

 

少し気になっていたのは、日本人がそのまま「自分の為にあるモノじゃなかった」「自分には向いてなかった」といった直訳したような表現を使った場合なんスよね。こういう表現だと、本人がただ途中で諦めたようなニュアンスが出ているように感じていて、ちょっと違うなァと。

加えて、こういった遠回しな表現に対して、そのまま文字通りに受け取ってしまった人からは「もっとやってみてよ」「努力が足りない」みたいな反応が来る事は容易に想像できますし、そんな時には否定はしづらくて大変面倒くさいと思っていたんスね。

 

他方で「厳しい」「難しい」という表現は、本人がしっかり挑戦した上での諦めというストーリーが見えるので、かなり誠実に受け取ってもらえそうじゃないスか。メチャクチャ良い単語の選択ですよね。

SNS上では、何でも気軽に否定してマウントを取り気持ちよくなろうとする人が増えている中[*要出典]、「ちゃんと経験してから否定しろ」という考え方もじわじわと浸透してきている[*要出典]風潮も、これの一因かもしれないスね。

 

と色々言ってきたんスけど、どんな表現をしようが結局はただの単語の違いで、意図することは「否定」に変わりないです。

ただ、そこでの単語や表現の選び方一つで、受け手の印象は格段に良くなると思います。ひいては、コミュニケーションの成否が変わってくる事さえあるンじゃないスかね。

 

twitterを見ていると「安直に専門用語や英語表現、難しい単語を多用する人」や、逆に「平易な単語・同じような表現ばかりを多用してる人」ちょっと毛色が違うところで「上手い事を言おうと過剰な形容・比喩を使う人」にも定期的に出会うんスよね。

もちろん文脈にも寄るんスけど、こういった人たちは、前述したような表現やコミュニケーションを一切放棄して、ワガママで一方通行な押し付けをしているンではないでしょうか?

円滑で心地良いコミュニケーションの為には、自身の感情や解釈、立ち位置までもを受け手にしっかり伝わるようにし、解釈を相手に任せっ切りにせず、責任感を持った文章にする事が求められますね。

(※当然tdhr自身への自戒も込められています)

余談ですが、いわゆる「言霊」ッていうのは、こういった感情の機微を生み出す言葉の選択方法から来ているのかもしれないスね。

 

明るい単語・表現を使うような人が増えると、前向きなコミュニケーションが想像できて、そして未来に希望を感じさせてくれますね。

少しでも世界を良くする為に、俺も積極的に明るい単語・表現を使っていきたいと思います。

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