俺の作品は反抗なのか

俺の諸々の作品創作の目的は「空気を読んだ上で逆らいたい&他人に屈したくない」ではないかという内容。オチはないです。

岡本太郎の著書『自分の中に毒を持て』を読んでいると、途中で「他人に好かれるに行くな」といった旨の文章が出てきて。要は、周囲の期待に応えることは、そもそも周囲の為に行っているものではなくて、自分が悪く思われたくないだけで、本質は甘えだ、と鋭く諭しているんスね。

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で、この文章を読んでいる時、ふと俺の物心がついてから〜おそらく大学生くらいまでの間まで、めっちゃ他人に応えようとしていた事を思い出しました。何より両親に対する対応が、まさにそれだったんスね。大学を卒業するくらいになって、いつまでも完全な自由がない事に気付いて、そこでさすがに俺も、自己責任であれば俺のワガママを通して良いんだという事にたどり着いたんスね。

自分で言っても信憑性が低いと思うんスけど、俺は小さい頃から、両親の求めることを察知して、行動して、そのアクションに対するリアクションの機微を捉えるのが、格段に上手かったという自負があるンですよね。現在、この能力自体は色んな所で活きているンで、悪いだけではないです。

 

そんな中、ついさっき思い付いたんスけど、この空気を読む能力に対し、あえて空気を読んだ上で逆らいたい&他人に屈したくないという反抗から、おそらく俺の創作が産まれているンじゃないかという仮説です。

「なんで俺だけが空気を読んで対応しないといけないんだ。お前らも空気読め。」
「周りのやりたい事なんか知らない!やりたいことをやる!我を通す!」
「求められているものは分かった。だから裏切りたい。」

そんな不埒な、けしからん思想が、少なくとも存在するンじゃないかと。

 

しかしながら、一方で、これを認めてもらいたいという甘えた気持ちが存在するのも事な上に、やっぱりどこかで空気を読んでしまい、何もかも中途半端になってしまうんスね。

そもそも空気を読んだ上で無視する、という行為自体が、空気に左右されてしまっていて、本質的には結局自由になれていない訳で。

俺は弱い。

 

というわけで、俺の創作の目的が、その輪郭だけでも少し明らかになった感じがしました。特にオチはないです。話もまとまってないです。申し訳ない。

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