サイゼリヤ2000円チャレンジ(失敗)から見る経済支配からの自由

大げさなタイトルをつけたものの、中身は「サイゼリヤ2000円チャレンジに挑戦し失敗したが、色々思うところがあった」というだけの話。

 

先日の日記にも書いたサイゼリヤ2000円チャレンジに挑戦してきました。

 

結果としては「1,387円」で失敗し、敗北です。

 

結果のレシート。1,387円。どう見ても失敗。

 

さて、先日の日記にも書いたように、

チャレンジという名称がついているものの、中身はあくまでも一種の非日常的なエンタメで、本質は飲食店で豪遊しても2000円以上いかないから(少し越えるだけだから)安心、というモノじゃないンでしょうか?

近い内にサイゼリヤ2000円チャレンジを試したい

というわけで、そもそもこれは「チャレンジの皮をかぶった、ただのエンタメ」に過ぎないんスよね。本当に2000円を目指す事が目的ではなくて、意図的に「チャレンジ」するような注文をしても、結果として資金に気にせずに注文できるぞ、という説明をしているだけで、本質はただの豪遊なんスよね。

言い換えると、つまり、勝利条件はこの行為を自体を楽しむことなンじゃないかと。

なので、自分はこの行為を楽しめるので完全勝利かと思っていたンですが、まさかの敗北でした。

適当に、一度にメニューを頼んでしまったせいか、意図せず全ての料理に温泉卵が入っていて(温泉卵をメッチャ食べたかったタイミングだったんスかね)味の違いをあまり楽しめなかった上に、途中で満腹感に襲われてムリして食べることになったンで、エンタメだったとしても、敗北です。ツラさが出てしまった……。

敗北!

 

さて、ルールにある「本当に食べたいものだけを、無理せずに食べる」というのは、行為だけ見たら、一見、通常の注文と何ら変わらないんスけど、じゃあなんで流行ったのか、って考えていました。

で、気づいたのが、「値段を無視している」という点なんスね。

外食で注文をする時には、たぶんほとんどの人が当然のように値段を確認して、それが品質や量と見合ったものか考慮して、それから注文を決定していると思うんスけど、このチャレンジにはそれが無い。

ところで、最近の日本では、経済的な希望とのギャップに苦しみ、未来を悲観的に抱えた若者〜中年が増えている、といった空気を個人的に感じていて、そのせいで経済に精神を支配されている状態なンじゃないかと思うんスね。要は、何かを買う時には純粋な趣味や嗜好だけでなく、選択理由に価格が含まれてくるけれど、そのウェイトが過剰に大きい状態なのでは、と。

そう考えると、サイゼリヤ2000円チャレンジを行うことは、経済の支配から解き放たれて、「本当に自分が食べたいものを選べる」という本当の精神的自由をインスタントに体験できる、一種の救済になってるンかもしれないですね。

しかし、自分にとって、思っていたよりも「自由」は難しくて、つまり、ある程度は価格の指標がないと選択は難しくて、自分が経済に支配されながらも、それに頼っていた事実に驚きました。コスパ厨の素質アリ。支配と自由のトレードオフの難しさ。

 

色々書いていて何を言いたいのかよく分からなくなってきたんスけど、何はともあれ、早く「いきなりステーキ5000円チャレンジ」みたいな挑戦が流行る時代になって欲しいですね。

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