『そして何も点かくなった – And Then There Was No Light』というゲームをリリースする。

本作は、現代のインディゲームが抱えるある種の「過剰さ」に対する、自分なりの応答の試みだ。
昨今のインディーゲームシーンの言説空間には、過剰な「エッジ」や「作家性」を、まるで必須要素であるかのように求める風潮を感じることがある。もちろん、それらが強力な魅力であることは間違いないし、商業的戦略としても有効に機能するように思う。俺自身も好きな要素だ。
しかし、創作とは本来、もっと自由で、個人的な衝動に根ざした行為でもあるはずだ。
俺は、その「必須要素」の潮流からあえて距離を置く。ただ純粋に、自分、あるいは自分に似たような人が必要とするようなゲームを作ることにした。
今回、俺が応答として見出したものは何か。「静謐(せいひつ)なインタラクション」という概念だ。
きっかけは、能登半島地震だった。心を落ち着けるため、当時の俺はただひたすらにパズルゲームへ没頭していた。
そこでは、報酬や競争、あるいは複雑な物語といった外部からの刺激(アトラクション)ではなく、極めて目的が単純化された作業への没入そのものが、穏やかな時間をもたらしてくれた。
この発見に基づき、本作は意図的に「低刺激」であることを是として設計されている。
この「静謐なインタラクション」という思想を、いかにして一本のゲームとして成立させるか。その設計哲学の参照点としたのが、ゲームボーイ時代のゲームデザインだ。
ROMの容量やバッテリーといった物理的制約が、必然的に「小さいが高水準な体験」を生み出した時代。そこには、華美な要素を削ぎ落とした先に現れる、機能的で実直なクラフトマンシップが輝いていたように思う。
誤解を恐れず言えば「こういうのでいいんだよ、こういうので」という感覚。
これは決して「低クオリティ」の肯定ではない。むしろ、俺が愛する「ちゃんとしてる」という言葉、英語で言うところの “decent” な状態への強いこだわりだ。
情報過多と常時接続がデフォルトとなった現代において、プレイヤーがデジタルデバイスとの関わりの中に、真にプライベートで内省的な時間を見出すこと。それは、もはや難しいのかもしれない。
(ある種の)1人用ゲームをする時はね 誰にも邪魔されず自由で なんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで……

追記(2025年8月2日18:00)
本作は、完成してから半年以上の間、ずっと放置・リリース延期されていた。Steamのストアページ用のイラストや文書を作成するのが面倒くさかったというのが理由。
そういう自由もあって良い。

