「善意の花」というサービスを公開しました。そして終了しました。
画面をタップすると「1度だけ」花を植えることができるンですが、既に咲いている花は「誰でも」「何度でも」処分する事ができる、というサービスです。
善意を信じれば多くの花で埋まった画面を見られる、というのがメインコンセプトです。
なお、裏のコンセプトとして「善意とは何かを体験を通して考える」というものがありました。
このサービスは案の定、公開して程なくから、現在までずっと、全ての花が何度も刈り取られる様子が見られているんスね。
世の中にはこういった「あまりにも状況的に不利だけれども、みんなを信じて目的を達成したい」という道徳観に訴えかけるような命題にぶつかる事が多かれ少なかれあると思います。
自分もどこか他人を信じたくて、それを願ってこのサービスを作ったんスけど、やっぱりダメでした。
で、ここで言いたいのは、裏のコンセプトである「そもそも善意とは何なのか」という話なんスね。
この作品では花を大量に咲かせる事が善意である、と明言しているんスけど、実はそんな事ないンですよね。花を大量に咲かせる事自体はあくまでも俺が作った目標であって、別にそれを達成する事は善意じゃないのでは、と。
じゃあ善意って何なのかと考えたところ、「他人の意思を理解して、その思惑通りに手助けする」事が善意で、逆に言うと「他人の意思を踏みにじる行為」こそが悪意だという結論になったんスね。それ以外は全てエゴ(=自身の意思や願望)に過ぎないンですよね。
(ちなみに、花の画像は「善意ではない」という意図があったンで、合歓の木の花をモチーフにしたような、あまりみない見た目に、グレーの花という、そのままでは印象があまり良くないものとしました。草とか言われていて草。)
このサービスで、ルール上問題無いからと言って花をむしり取る行為は明らかに「悪意」が含まれていますが、それでも花を咲かせる行為を押し付けるのは「善意ではなくエゴ」なんスね。
そもそも、この作品自体が実は俺(tdhr)のエゴなんスよね。手伝って頂いた方には本当に感謝しています。
他方で、花が多く咲かない理由や責任を、他の何かに求める人も一定数いました。「悪意じゃなく好奇心が原因だ」「システムがあまりに悪意に有利過ぎる」「花の画像がもっとキレイだったら」「UIやルールがもっと分かりやすければ」「流行ってないだけ」「文章を読まない人が原因」「バグってるのでは」などなど……色々ありました。これらも全て、自身の気持ちから生まれただけのエゴです。
そして、先ほど(2021.10/16 AM03:20頃)に自動スクリプトによる大量の花の設置が発生しました。実はこのプログラムは、ちょっと詳しい人であれば花の大量設置が可能なスキを残しておいたんスね。
これが、これこそが、まさに善意ではなく、エゴです。
花を植える事自体は目的ではなく、そこに含まれた善意の可能性を信じて、ユーザーのみなさんは花を植えていた事と思います。自動で作られた大量の花に、そこに善意はあるンでしょうか。
というわけで、このサービスは、残念ながら、当初の目論見通りに「エゴ」と「悪意」に陵辱しつくされたので、目的を果たして、わずか1日の稼働にて運営終了となります。(思った以上に早かったですが)
結局何を言いたいかというと、善意には、相手を理解する為の努力をする事は勿論、そこに知識や経験も必要ですし、空気を読む力も必要で、安易に行えば良いものではないんスよね。
みんな自分の意思を押し付けず、最低限は空気を読み合う道徳観のある、優しい世界であって欲しいですね。
なお、今回の「善意の花」で「信じる事」 とは手放しで相手に選択肢を委ねる愚かな行為だという事が、俺の中でほぼ結論に至ってしまったので悲しくなっています。
とは言え、数少ないながらも、他人を信じて花を植えて祈っていた方がいる事もまた事実ですので(スクリプトによる攻撃前は100前後まで確認しました。勿論これもスクリプトによるものかもしれませんが)そういう方を大切にして生きていきたいと思いました。
ちなみに余談ですが「今までの最高記録」と「現在咲いている花の数」の間の部分を反転(スマホの場合はコピーしてどこかへ貼り付け)すると「今までに処分された花の数」を見ることができるギミックを仕込んでいました。
純然たる悪意の可視化ですので、何らかの影響が出る可能性を考慮し、隠していました。(twitterで見たところ、一人だけ気付いた方がおり、あまりの悪意にドン引きしていた模様)
需要がありそうでしたら、この露悪なサービスをもう一度再開しようと思います。
(追記:2021.10/17)
1週間だけ再開します
(追記:2021.10/25)
予定通りサービスを終了しました。また、これに伴い後日談についてアップロードしました。