(ネタバレ有)エヴァに求められていたものは何なのか、気持ち悪くない結末とは

エヴァに求められていたものとは何だったのか思いつきで考えながら自分が気持ち悪いオタクじゃない分かっている男だというアピールをする記事です。

考察ではなく随感まとめみたいなものです。「シン」の感想というより「エヴァという作品」について感じた事をまとめたものです。

ネタバレあります。 

はじめに 

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の感想をネット上で探して色々見たところ、賛否あるみたいですが、これは一体、何に満足して何が期待外れだったンでしょうか。

そもそもエヴァには何を求められていたんスかね。

何も知らない作品に対しては、もちろん漠然とした何かしか求められないので、恐らく賛否出している人の多くはエヴァに思い入れがあった人だと思うんスね。

そしてエヴァにしかない何か、いわゆるエヴァらしさを求めて視聴していたンだと思います。

 

ちなみに自分は全面的に賛否の「賛」側です。

エヴァらしさとは

エヴァらしさとは何なんスかね。

たぶん全員の意見の、最大公約数みたいな要素を考えないといけないと思うんスけど、流石にムリですよね。なので、多そうな意見を想像で抜粋するしかないと思っています。

 

で、考えて出たのが、

  • 多数のオリジナル専門用語
  • 説明の少ない世界観と設定
  • 後心地の悪い終わり方
  • グロテスクな内面表現

の4つでした。

 

上2つは「圧倒的な情報量」と「それを考察した一部の理解者だけが楽しめる空気感」

下2つは「予想外のネガティヴな展開」「人間の汚い部分を見たいという願望」

に集約されると思います。

これらがいわゆるエヴァらしさの本質に近いモノだと思います。

 

確かに「シン」ではエヴァらしさは多少あったものの「旧劇版」に比べるとやや緩和されていたんスよね。賛否分かれるのも当然だと思います。

そもそもエヴァ自体ずっと賛否が分かれていたのでは

そもそも一番視聴者を放り出していたと思う「旧劇版」で既にストーリー、作画(特に長丁場の停止)、結末、実写パート全て賛否が分かれていた上に、難解さからか神格化され過ぎているんスよね。で、それに近いエヴァらしさを持っていた「Q」でも賛否が分かれていたンで、もうこれだと、多分どんな作品がリリースされようと満場一致の高評価は出るわけ無いんスよね。

つまり賛否出るのがエヴァ、ということなら、今回も無事にエヴァしていたと思うんスよね。

たぶん、エヴァはちゃんとエヴァだった。

ある意味「シン」でエヴァらしさが無くなった事それ自体が、「エヴァという作品全シリーズ引っくるめて」を本当に終わらせたとも言えるンじゃないスかね。

良い大人に囲まれて真っ直ぐ成長するシンジ

ところで、エヴァでは全編通して、大人も子供もほぼ全員が人間関係構築に不慣れで、関係がもつれてしまっているんスよね。「旧劇版」では、結局そのまま全員がほとんど成長しないまま、むしろしっかりした大人がいても、シンジ=視聴者(オタク)は、気持ち悪い存在で終わっているわけで。

ただ、その過程と結果をエヴァらしく難解に描いた結果「理解した自分は気持ち悪い存在ではない」という面倒くさいオタクの立ち位置を認めてしまったようにも思うんスよね。お前も俺もみんな気持ち悪いオタクだよ。

 

そんな中「シン」では予想外に、明快に「良い大人に囲まれたら子供はちゃんと育つ」というテーマを描かれてしまったわけで。

14年の時間が経過して登場キャラクターが大人になってしまって、みんな心身共に成長して、残されたシンジは、ただひたすらに良い大人に囲まれてしまう状況だったと思います。

他方で、強くワガママなように見えていた何人かの大人達は、全員自身の弱さを認め、責任を果たしケジメをつけました。

結果、シンジはついに「気持ち悪くなくなってしまった」ンですよね。あまりに清々しい、俺たちの知らないエヴァ。

オタクは「シン」を受け止められるのか

で、問題なんスけど……

オタク、つまり当時シンジであって、同じく14年(もしくはそれ以上)経った今のオタクは、これを是と受け止められるンでしょうか。

恐らく受け止められずに否を出した人が多くいるように思います。

 

気持ち悪いオタクから脱却し、ステレオタイプなリア充になったシンジを受け止められるのか。

オタクの気持ち悪さは良い大人が周りに居なかった事が全ての原因であり、そして良い大人が周りに来るまで、つまり自分1人だけでは気持ち悪さは治らない(いわゆる「ユイ」に出会うまでお前らは一生気持ち悪いままだ)というメッセージを受け止められるのか。

「ただ近くにいてくれた女性だったというだけで好きになっていたアスカ」という優しくされたらすぐに恋してしまうオタク的な関係を断ち、一方で接点があまり無いように思われるマリと友好な関係を持ったシンジ、という描かれ方をされた非オタク的な人間関係を受け止められるのか。

おわりに

エヴァという作品は難解なオタク向けのカルト作品から、万人向けの青臭いジュヴナイル物へと成長して、エヴァらしさから、そしてオタクから離れていったように思います。

これが監督なりの終わらせ方、けじめの付け方だったンでしょう。

 

さらば、全てのエヴァンゲリオン。

 

エヴァの呪縛は解けたンでしょうか。

今回も俺は無事に「理解している気持ち悪くないオタク」になれたと思います。

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