舞城王太郎『あなたは私の瞳の林檎』『されど私の可愛い檸檬』読了

舞城王太郎氏の小説『あなたは私の瞳の林檎』『されど私の可愛い檸檬』を読んで、とにかく優しい作品だった、良かったという話。

 

舞城王太郎は、小説をほとんど読まない俺が好きだと言える数少ない作家なんスね。よく言われる特徴として、文体にスピード感・グルーヴ(ドライブ)感がある、覆面作家である、愛と暴力の描写に定評がある、ジャンルが不安定、福井がよく出てくる、色んな方面から貶されがち、という事が挙げられがちです[*要出典]。

で、その舞城氏が2018年の10月、11月と2か月連続で出版したのが「〜林檎」「〜檸檬」という作品なんスね。前者は「恋愛」を、後者は「家族」をテーマとして取り扱っています。

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で、感想をまとめようと思ったんスけど、やっぱりムズいっスね。

舞城の小説を読んだ事がある人なら分かってもらえると思うんスけど、舞城の作中ではメタとか引用がわざとらしく多量に使われていて、それが大抵は社会(特に小説に対する)皮肉めいたメッセージを伴っていて、何なら作品の存在自体がメタだったりする事もあるので、迂闊なレビューをしようモンなら「お前は何も分かってない」とレッテルを貼られる、ある種の試金石になりがちなんスね。怖いよね。

(こういった作品の傾向から、氏はアンチ小説家的な立ち位置の小説家に捉えられがち[*要出典]なので、小説をあまり読まない俺がこれを好きとか言うのも、バカにしてンのかと思われそうな立ち位置で良くないスね。)

とりあえず、今回の日記では難しそうな「作品で表現される社会的役割」には一切触れないことにして、内容で感じられる思想みたいなモノを語ろうと思います。まぁ、日記ですし、そんな立派なことを頑張って言わなくても問題ないですよね。

 

舞城王太郎が昔からずっとテーマとして取り扱ってきた「愛」が、今までの作風とは違って、信じられないくらい優しく書かれていました。

俺が思ってきた今までの舞城王太郎の「愛」だと、対極にありそうな「暴力」とか「死」とか「悪意」をこれでもかと表現することで、そこには描かれない「愛」が、逆に、結果的に縁取られて残る、というギャップで表現されていたンですが、今作では、ただ純粋に「愛」が地に足を付けた表現で描写されてました。

今までの舞城作品だったら割とすぐに死んでそうな登場人物が、「〜林檎」「〜檸檬」の2作のどの話でも、何事もなく生き残っていて、非日常的なぶっ飛んだ世界や設定もそこまで多くなく抑えられていて、俺の緊張は一体なんだったのか、という感じでした。

「〜林檎」では、いわゆる甘酸っぱい青春の恋愛を描いていて、それは現実でも作品でも大体がすぐに裏切られそうな夢とか理想みたいな存在なのに、それをそのまま理想的に優しく描いていてるンで、ただただ癒やしでした。

他方、「〜檸檬」では、家族の温かさを実感し、それを現実的にちゃんと納得できる形で守っていく、理想とは少し道が外れるものの、前向きに人生を歩んでいこう、という温かいストーリーが並んでいました。

 

舞城が老けて勢いが無くなったのか、それとも理想を描いている皮肉だったのか分からなかったんスけど、2作どちらも、とにかく優しい作品でした。

とは言え、相変わらず氏の作品を読み終えた後は、こちらもドライブ感のような何かを得たような気がしてきて、前向きに、行動的になれますね。以前よりそれは少なくなってるんスけど、変わらずオススメ。

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