情報について

Googleは死んだのか(死んでいない)、そして情報は基本的に有料であるという記事。

レビューやレシピを検索した場合には、「アフィリエイトリンクと広告で埋め尽くされたSEO最適化されたサイト」ばかりがヒットするとDKBは指摘します。

「Google検索は死んでいる」という指摘 – Gigazine

体感的に、確かに10年以上前と比べると、Google検索の使い勝手は悪くなったように感じます。上述のようなレビューやレシピに限らず、何かの調べ物をする際には「アフィリエイトリンクと広告で埋め尽くされたSEO最適化されたサイト(以下「アフィサイト」)」にかなり高確率で誘導されますし[*私感]。

(余談)効率良く目的の情報にたどり着くためには、検索する際にはちょっとしたコツ・テクニックみたいなものが必要ですよね。調べたい事柄の単語に「とは」を付ける、種々の検索演算子を利用する、みたいな手法です。

さて、しかし、Googleだけにその「検索が死んだ」の本質がある訳ではないと思うんスよね。そもそも俺はGoogle検索がその「アフィサイト」へ誘導するのは全く問題無いと考えています。

そもそもの検索エンジン(Google以外も含む)の目的は、世の中にあるウェブサイトへのリンクを紹介する事であって、知りたい情報だけを提供する事じゃないンです。検索エンジンはずっと正しく仕事をしているんスよね。

加えて、仮に「アフィサイト」が紹介されたとして、そこに必要な情報があった場合は、何も問題ないんスよね。問題なのは「低品質なサイト」があまりに増え過ぎていて、必要な情報にたどり着けないという事です。

情報の質が悪化し、その数が増え過ぎている。

「悪貨は良貨を駆逐する」のように「悪情報は良情報を駆逐した」のかもしれないスね。同じ価値(=広告収入)が得られるなら、低品質の情報を量産する方が効率が良い。

現代はあまりに情報に溢れていて忘れがちなンですが、インターネットを介して、ほぼ無料で有益な情報に触れられる事自体が異常だったんスよね。新聞や書籍という有料の媒体を購入してまで入手していた、情報という商品が、ある日インターネット上で全て無料になるわけがないンですよね。

その情報の対価を広告業者が支払う代わりに、我々は無料で情報を入手できるわけです。

じゃあ、なぜ無料かつ広告無しでアクセスできる情報があるのかというと、それって「自分が属するコミュニティの為のボランティア」を受け取れているだけに過ぎないんスよね。

20年近く前のインターネットは、ある程度環境と知識が揃った人しか触れられないものでした[*私感]。つまり、そこにアクセスできる時点である程度、いわゆるギーク・ナードな性質がある人間で、つまり仲間だったわけです。

仲間に情報を提供するのは至極当然の行動です。無料で情報交換しますよね。

しかし技術が発達するにつれて、 誰でも気軽にインターネットに触れる機会が増えたんスよね。SNSも身近になっています。

そんな、見ず知らずの有象無象がアクセスできるようになった場所に、無料で情報を提供する意味があるンでしょうか。(もちろん今でも、前述のような、ごく狭いスペース内での、いわゆる仲間同士の繋がりで情報交換しているグループはあると思いますが)

有料記事、有料オンラインサロンが増えてきたのも、この情報の低品質化・氾濫が進んだ結果でしょう[*要検証]。

ある程度技術や知識、属性が近しい人だけが上手く集まれるようなシステムがあると良いかもしれないスね。

情報の価値を再認識し、取り扱い方を改める転換期が来たように思います[*私感]。

<余談>
確定申告の進捗0%です。

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