【ネタバレ含】天気の子の主人公に対する「不快感」を感じる人たちに対するディス

「天気の子」を不快だと感じる人たちは、ちゃんと映画を観て理解していないか、もしくは若者への破滅を望んでいる人たちだ、というエントリー。途中からネタバレを含むので、ご注意下さい。

 

先日、天気の子を観てきました。自分がtwitterで観測している範囲ではゼロ年代の「セカイ系」だとか「エロゲー」だとか、もしくはそれらに対する解答だ、みたいなことを言われていたんスけど、観終えてみると、余計なレッテルを貼る必要のない、本当によくできたエンタメだったと思います。

個人的な傑作映画の条件として「頭空っぽでも観られる」が「考察の強度に耐えうる」の2点があるんスけど、この映画はこれらを満たしていて、つまり、物語の時系列が前後することもなく一本道のシンプルなストーリーだけれど、話の内容のいたるところに伏線やオマージュ、意味を込められていて「本当は……」「もしかして……?」みたいな考察も楽しめる作品でした。

考察に関しては、色んな人によってメッチャ多く、深く行われているンで、そっちを観て下さい。自分が記事を書くより、よっぽど参考になります。

Google検索(”天気の子 考察”)

 

で、本題に入るンですが、ここからネタバレが含まれます。 嫌な方は急いで戻るボタンを押すかブラウザを閉じてください。

 

 

 

 

 

さて、これだけ良い作品だった(と個人的に思った)「天気の子」なんスけど、チラホラ不快だという評判を見かけたんスね。直接誰かを指定してディスりたいわけではないので、気になる方は「天気の子 嫌い」だとか「天気の子 賛否」だとかでググってみてください。

で、その人たちの文章を読むと、大体が「主人公が自分勝手」という点で、不快に思っているように感じました。

でも、ハッキリ言って、作品をしっかり観てないのではないでしょうか?

そもそものこの作品は「世界を救おう」って話じゃないんスよ。(恐らく家庭内で不自由な)主人公が東京に逃げて出てきたけれど、それでも社会のルールや環境が主人公を閉じ込めてきて、戦い、もしくは受容して、少しずつ成長していくジュブナイルストーリーなンですよ。

観ている人がヒーローになりたくて、それを主人公に投影して、世界を守りたくなるのは勝手ですけど、それを押し付けないで欲しいですし、何なら「この点こそがこの作品のテーマ」でもあるンですが、つまり「社会を押し付けてはいけない」という点がテーマなんスよね。

昨今の日本はポリティカルコレクトネスに代表される、同調圧力を強いる空気が蔓延しているように感じています。そんな空気を感じ取った監督が作ったのが、この「天気の子」なんスね。

それに対して、監督は作品を通じて、メッセージを送っています。

日本は、変わる(変えられる)。世界は、よくなる(よくできる)。年齢を重ね大人になった今は、そんな希望をほがらかに語ることは、「無責任に過ぎる」(新海)。そのリアリティを保持しながらも、いかにエンターテインメント作品として決着をつけることができるのか。その結果たどり着いたのが、帆高と陽菜のあの選択だったのだ。

https://ddnavi.com/interview/554801/

この映画を不快だと思っている人は、主人公が罪の意識を感じている時に、東京が水に沈んでしまった事はお前たちの責任ではない、と老婆と須賀のメッセージを、見逃した、もしくは、正面から受け取れなかったのでは。

もし老婆や須賀のメッセージまで、納得できなかったというなら、それは、観ている人の、同調圧力によるものじゃないスかね。そんな同調圧力を、作中の主人公にまで与えているのかよ、と思いますね。

 

これは強大な敵に対する諦めの物語じゃなくて、責任感はムリに押し付けず、それでいて許容・受諾できる範囲で楽しめるようにしよう、そして人間にはそれが可能だ、という温かい話。どんなに社会が暗い時代でも、誰もがあえて暗くなる必要は無いと思いますね。

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